21 9月

「神の意志(ギリシャ語=セレマ)は、愛(アガぺー)である」

どうしたら隣人を愛することができるのか。
どうしたら愛した人を最後まで愛することができるのか。
いや、どうしたら自分を愛することができるのか。
愛するとは、抽象的にイメージすることではない。愛するとは、実践することである。
生命の連鎖続くかぎり、愛を実践することがテーマとなる。愛を実践するためには、神の意志(=愛)を会得することである。それには終わりがない。
たしか、精神分析学者エーリッヒ・フロムは、「愛するということ」の著書の中で、『愛は技術である』と言っている。その「技術」は、人間の意志ではなく神の意志である。条件をつけて愛するのではなく、無条件に愛することを意味している。

参考内容:『1904年に「法の書」を書いたアレイスタ-クロウリ-がフランソワ-ラブレ-の哲学を適用…。…セレマ(ギリシャ語=意志)の中心的哲学がある。その中で、ギリシャ語のセレマ(=意志)とギリシャ語アガペー(=愛)、この二つの言葉の数値が同じ数値を持つとき、意味深い関係を持つと言われている…、この場合、セレマのこの中心的なコンセプト意志と愛は同じ数値であり、故に、直接的な関係を持つ』(因みに数値は両方ともに93となる。)